「ふしぎの海のナディア」は1990年にNHKで放送されたアニメです。
「エヴァンゲリオン」「シン・ゴジラ」で有名な庵野秀明さんが監督を務めていて、「エヴァンゲリオン」ほど有名ではないものの、当時のアニメの常識を打ち破る名作として、30年経った現在でもファンの多い作品です。
私も子供の頃見て、未だに忘れられない名作アニメです。
最近Amazonプライム・ビデオでも見られるようになったので、久しぶりに全話通して鑑賞。
涙なしでは見られませんでした。
というわけで今回は、物語の主人公で、アニメ史上もっとも好き嫌いの分かれるヒロインと言われるナディアについて語りたいと思います。
アフリカ編と島編
今回、主人公ナディアのことを語る前に、ちょっとわき道にそれますが、「ふしぎの海のナディア」において非常に評価が低いのが通称「アフリカ編」と言われる第32話、第33話、第34話です。
「島編」と呼ばれる第23~31話も含めて、「ふしぎの海のナディア」ファンの間でも評価が低いことが多いです。
理由の一つとしては、外注をしたことによる作画レベルの低さ。
昔の作品なので、もともと現在ほど作画レベルは高くありませんが、それにしても酷すぎるんじゃない?ってなるのが「島編」と「アフリカ編」
どうみてもナディアもジャンもマリーも顔の形変わってるし・・。
「ふしぎの海のナディア」って、1~22話までは物語の核心に迫る話が多く、テンポもよく、ハラハラドキドキする話が多いのに、23~34話までは、打って変わって本編とのかかわりがほぼない「のほほんとした」話が続きます。
なので、人によっては、23~34話までは中だるみを感じてしまうようです。
ナディアのリアル感
じゃあ「島編」や「アフリカ編」は必要ないのかというとそんなことはなく、個人的には「島編」や「アフリカ編」でナディアとジャンの関係が深く描かれるので、必要な部分だと思ってはいます。
「ノーチラス号」にナディアとジャンを乗せていると、彼らは常に「大人社会の中での子供」でいる必要があります。
「島編」や「アフリカ編」は周りに大人が少ない状況になり、「子供社会の中での子供」でいることができます。
要は学校のようなものです。
同棲と言ってもいいかもしれません。
マリーやグランディス一味がいるのでマイルドな同棲ですが。
ジャンにわがまま放題を言い、意地っ張りで嫉妬深く、時に冷たく、浮気をする。
ナディアはアニメの女性主人公としては大変めずらしいタイプです。
島編やアフリカ編ではナディアのわがままぶりがたっぷり詳細に描かれます。
久しぶりに見ても「こいつやべえ」と思わせるレベル。
ジャンを散々振り回し、キスまでしておいて、別の男に浮気心を持つナディア。
ほんとサイテーです。
でも、そのダメさ感が、後の話にリアル感を増させていて、後に自分がアトランティス人の強大な力を受け継ぐことを恐れ自殺しようとする「ふつうの女の子」であるナディアを活写しています。(ということにしておきましょう)
ほんと、今までのアニメのヒロインの既成概念を完膚なきまでに打ち破った存在として、ナディアはアニメの歴史に残る存在と言えるでしょう。
アニメを見るみなさん、ナディアのことは嫌いでも、「ふしぎの海のナディア」は嫌いにならないでください。(;^ω^)
好き嫌いの分かれるヒロイン・ナディア
というわけで、ナディアって好き嫌いの分かれるヒロインなんですよね。
むしろ好きな奴いるのかしら(+_+)
こういうタイプのヒロインってすごくめずらしいと思います。
天空の城ラピュタのシータとか、ナウシカとか、そういういわいる素直で優しいヒロインたちとは一線を画すヒロインですよね。
子供の頃は何だコイツと思いましたが、大人になっても何だコイツって思います。
でも、シータとかナウシカのような女の子って「理想」の女の子ですよね。
じっさいにはそんな「理想」の女の子なんていないわけで。
「ふしぎの海のナディア」の良さは、その徹底されたドロドロした現実的な裏設定による人間たちの愛憎劇だと僕は思っています。
もしナディアがシータやナウシカみたいな女の子だったら、最終話でジャンを生き返らせるシーンがナディアほど感動的にならなかったかもしれないなと。
以上「ふしぎの海のナディア 賛否分かれるヒロインナディア」についてでした。
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もし興味を持ったら是非一度見てみてください。