いろはにほへと

元証券アナリストのひとりごと

マカロニほうれん荘という名作ギャグマンガの悲しい最終回

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「マカロニほうれん荘」をご存知でしょうか?

70年代後半に彗星のように現れた伝説的ギャグマンガで、今なお多くの人に読みつがえれています。

これだけのレベルの漫画は、自分はいまだに見たことがないですね。

たった2年間、9冊の単行本で終了した本作ですが、一度読むと二度と忘れることの出来ない作品だと思います。

 

 

マカロニほうれん荘とは?

マカロニほうれん荘は、1977年から1979年に「週刊少年チャンピオン」に連載された、鴨川つばめによって描かれたギャグ漫画です。

現実と空想の世界を混ぜ込んだ新しいギャグ漫画として一大旋風を巻き起こしました。

40代・50代の人には記憶に残っている作品なのではないでしょうか。

この作品のおもしろさを文字で書き起こすことができる人はいないのではないでしょう。

おもしろそうだなと少しでも思ったら一読をおススメします。

 

伝説の漫画マカロニほうれん荘の最終回あらすじ

マカロニほうれん荘の最終回。

トシちゃんこと膝方歳三は、自分が売れっ子作家の七味とうがらしであることが周りの人に知られてしまい、今まで通りに接してもらえないことに悩んでいました。

トシちゃんと長年連れ添ってきたきんどーさんは、そのことを見抜き、トシちゃんが街を出たがっていることを見抜きます。

 

「トシちゃんは今までどーりみんなとつき合いたいんです……それなのに……!!」
「あんた、この町に住みづらくなったわね?」
「わかりますか?」
「さらに、あんた!この町を出ようとしてるわね!?」
「きんどーさんにはかくせないなぁ……」
「あんたがそこまで決心してるなら旅は道づれ!あたしもつき合うわよ!!」

 

これまでのことを回想する2人。

 

そうじが部屋に帰ってきますが、部屋にはもう誰もいません。

誰もいない夕方の部屋に、カーテンが寂しく揺れています。

 

夜、選挙に落選した馬之助をくわえて、砂浜からボートを漕ぎ出す3人。

それは新たなる門出というよりは、かなしい別れ。

「そうじ~元気でな~っ」

こうしてマカロニほうれん荘はその伝説に終止符を打つのでした。

 

無茶苦茶おもしろいのに最終回が悲しい

マカロニほうれん荘の最終回。

弟も僕も単行本読みながら泣いていましたね。

3人とのお別れがあまりにも悲しかったんでしょうね。

 

マカロニほうれん荘は鴨川つばめが命を削りながら描いた漫画だと言われています。

『マカロニほうれん荘』が人気を博す一方で、若手の原稿料は低く抑える、という当時の編集部の方針で経済的には困窮しており、冬は暖房もない部屋で漫画を描き続け、「手があかぎれで腫れあがり、ミッキーマウスの手のようだった」と後年回想している。またアシスタントを入れることを「手抜き」と拒んだ鴨川は強力な眠気覚まし用のアンプル(かつて大正製薬から販売されていたピロン内服液)を1日10本以上取って徹夜を連日繰り返し、一人で原稿を仕上げていたという。このような執筆状況にも関わらず、原稿は描き損じやはみ出しの修正のほとんど無い、きれいな仕上がりを維持していた[2]。のちに鴨川は「この作品と心中してもいい」という気持ちで『マカロニほうれん荘』を描いていたと回想している。

こうした中、やがて人気作ゆえに続きを描き続けていく事のプレッシャーと不眠不休の過労で体を壊したことから何度も連載終了を編集サイドに打診。しかし聞き入れてもらえず追い詰められた結果、わざと作品をサインペンで雑に描き入稿するなど、漫画執筆を放棄するかのような非常手段に出たため、編集部も渋々認め、1979年に連載は終了した。

(wikipediaより引用)

このような状況において、作者の鴨川つばめは自らの体を壊し、彼らとお別れをしなければならなかった。

作者の無念と悲しさが、「マカロニほうれん荘」の最終回にはにじみ出ているようなきがしてなりません。

 

今でも全巻単行本で買えます

1977年から79年にかけて連載された漫画であるにもかかわらず、今でも単行本で全巻購入できる漫画です。

すごく大きな書店であれば、店頭に並んでいることもありますし、amazоnでも購入することができます。

文庫本にもなっていますが、個人的には単行本の方が、当時の雰囲気や綺麗な扉絵を存分に楽しめますのでおススメです。