半沢直樹の人気にあやかって書きはじめた「半沢直樹になんてなれなかった」
一回目が自分のブログにしてはPVが多かった(読んでくれた方、ありがとうございます)ので、さっそく2回目を書いていきたいと思います。
銀行というと、スマートな職場というイメージはありませんか?
パワハラするような上司はおらず、みんなクールでスマートな人ばかり。
銀行を退職して次のところに就職すると、どうも多くの人がそんなイメージを持っているようでした。
まあ実際、私も就職前はそう思っていました。
自分が働いた実感としては、都市銀行では、パワハラをしてくる上司がほぼ1店に1人はいました。
銀行というところは、給与や福利厚生などの待遇面ではホワイトですが、職場環境はブラックなところでした。
では、なぜパワハラをする人が多かったのでしょうか?
パワハラ文化の中で育ったから
これはどこの企業でもよくあることのような気がします。
昔はパワハラ上司がわりと当たり前で、その中で育った人はそういうものだと思ってパワハラをしてしまう。
じっさい、自分の今いる会社でも20年くらい前まではそうだったと聞いています。
銀行でも20年以上前はもっと多かったと聞いていました。
ということは、銀行では1店に2人以上のパワハラ上司がいたことになってしまいますが・・
敗者復活のない人事制度だから
銀行の人事制度には、敗者復活がありません。
実際、一度✖がついてしまうと、退職するまでずっと✖がついたままになってしまします。
自分は人事部にいたわけではないので、その評価制度を見たわけではないのですが、銀行員の間では暗黙の了解としてみんな知っています。
そうすると、たとえパワハラしてくる上司であっても、大人しく従わざるを得なくなるのです。
なぜなら、その人にたてついて、評価に✖をつけられることになってしまうと、残りの銀行員人生にずっと✖がつきまとい続けるからです。
たとえパワハラに対して声を上げただけでも、このように仕返しをされてしまうとなると、なかなか声を上げることは難しくなってしまうのです。
銀行からパワハラ文化がなかなかなくならなかったのは、そのあたりに原因があるものと思われます。
部下が成績を上げないと自分の首が危ないから
最後になりますが、これはけっこう深刻な問題です。
耳にしたことがある人もいらっしゃると思いますが、銀行の営業ノルマというのは大変厳しいのです。
ちょっとやそっと「頑張った」くらいでは到底達成できないような目標が本部から、上司から割り振られてきます。
半沢直樹で大和田常務が言っていた言葉にこんなものがあります。
「部下の手柄は上司の手柄、上司の失敗は部下の責任」
実に銀行の実態をよく表した言葉だなあと思いました。
実際の銀行もまさにこれ。
部下が営業成績を上げれば、それは自分の課・自分の店の成績になりますので上司の手柄ということになります。
逆に成績が悪いとなると、上司は部下に責任を転嫁しようとします。
出世していく銀行員のなかには、「責任転嫁」が大変上手な輩がいます。
出世していく銀行員は、うまく部下に責任を転嫁して、自分の責任は避け、どのような成績でも出世していきます。
なので逆にパワハラと受け止められるような言動はせず、後ろで部下の首を切ります。
一方で、そういったことが不得手な人間もいます。
そういうある意味善良な銀行員の中には、営業成績を達成しなければならないというプレッシャーに押しつぶされる人もいます。
もともとは良い人であっても、営業成績不達成のプレッシャーに押しつぶされて、結果としてパワハラ的発言をすることで、部下に仕事をさせようとしていまうのです。
残念ながら、それで営業成績が上がることはあまりないようですが。
他にも、上司の上司がパワハラ上司で、その上司からのストレスからパワハラをはじめてしまう人もいました。
銀行におけるパワハラの問題は、なかなか根が深いものに思います。