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【ネタばれあり】「すずめの戸締まり」要石はなぜ抜けた? 岩戸鈴芽の死生観

「すずめの戸締まり」における物語の発端でもあり、最大の謎であるのが、「要石」がなぜ抜けたのかという点ではないでしょうか。

本作は要石が抜けることによって物語が進むにもかかわらず、なぜ要石が抜けたかについては明確な説明はなされていません。

今回は、鈴芽の死生観について考えながら、なぜ要石が抜けたのかについて考えてみました。

 

 

物語序盤の主人公鈴芽の死生観

「すずめの戸締まり」における鈴芽の死生観はかなり独特のものです。

「生死は運次第だから死ぬのは怖くない」

物語の序盤から終盤まで、少しずつ彼女の死生観は変貌していくものの、彼女は基本的に死を恐れない行動を取ります。

 

彼女の死生観の原点は、幼いころの体験により鈴芽は「この世とあの世の区別があいまい」「死後の世界には母親がいる=死後への憧れ」という2つの感覚を持つようになったことであり、そのため鈴芽は「死後の世界を恐れず、(消極的ではあるものの)自殺願望を持っている」のだと思われます。

 

1,死後の世界に迷い込む

「すずめの戸締まり」は主人公である岩戸鈴芽が幼いころに生き別れた母を探すうちに迷子になり、死後の世界である常世に迷い込んでいるシーンからスタートします。

17歳になった主人公は、その時のことをはっきりと覚えているわけではありませんが、本作は、彼女が死後の世界に迷い込んだことがもともとのきっかけとなり、物語が進んでいくようになっています。

彼女は夢の中でたびたびこの体験を繰り返しており、現実と死後の世界の出来事とに明確な区別をつけられない状態になっています。

 

2,死後の世界には母親がいる

主人公の鈴芽は常世である女性と出会っており、なにか大事なことを言われたと記憶しています。

なにを言われたかは覚えていないのですが、17歳になった鈴芽は常世で出会った女性は自分の母親であり、死後の世界には母親がいると、主人公のすずめは無意識的にずっとそう信じていました。

 

また、すずめは母親の死を目の前で見たわけではありません。

そのため母親は居なくなった=死んだのではないという感覚をずっと持ち続けます。

幼いころは居なくなった母親を探し求めてしまい迷子になり常世に迷い込んでしまいますし、17歳となっても母親は常世に「居る」と信じています。

 

物語中盤以降の主人公鈴芽の死生観

物語の中盤になり、鈴芽の死生観は変化します。

旅を通して鈴芽は少しずつ自分の死生観を変えていくのですが、その大きな転換点となるのは、草太を要石としてミミズを封じたところです。

「生死は運だと思っていましたから、死ぬのは怖くはありません。でも、草太さんの居ない世界が私は怖いです」と自らの矛盾した気持ちを病室で吐露しています。

また、気持ちの整理のつけられない鈴芽は、草太の代わりに、自ら要石になろうと決意します(=積極的自殺)

草太が要石になってしまったという事実は、彼女にとって、人生2度目の「喪失」であると同時に、彼女の死生観に大きな2つの矛盾を突き付ける出来事でした。

 

1,生死は運だけではなかった

主人公の鈴芽が直面した矛盾の一つ目は、生死は運だけではないということ。

主人公の鈴芽は東京で仕方なく、自ら好きになった草太を要石としてミミズに刺し、草太を殺してしまいます。

今まで生死は「運」だと思っていた鈴芽に大きな矛盾を突き付けるのです。

生死は「運」であるはずなのに、草太は明らかに自らの手によって死んでしまった。

このことに鈴芽は大きなショックを受けてしまいます。

 

2,死後の世界にも愛する者は居ない

もう一つの矛盾は、死後の世界に愛する者は居ないという現実でした。

鈴芽は意識的にも無意識的にも死後の世界には母親が居ると信じていました。

しかし、東京の地下で後ろ戸を開けた先には草太はただ要石として存在するだけであり、この世にもあの世にも、草太はいないという現実を突き付けられます。

 

物語最終盤の死生観

以上のようなことを考えながら観ていると、鈴芽が最終盤で常世で幼い自らを見つけてつぶやく言葉の意味の重みが伝わるのではないでしょうか。

鈴芽は自分のことを母親だとは思わない幼いころの鈴芽を見てこのようにつぶやきます。

「そうか、私、はじめから、わかっていたんだ」

 

要石の謎

序盤で要石が簡単に抜けて、終盤に要石を抜こうとしても抜けない理由はなんなのでしょうか。

私なりの仮説になりますが、序盤の鈴芽は死を恐れない存在であるため、死の存在である要石をいとも簡単に抜くことができました。

一方で、終盤の鈴芽は草太の死という出来事を通して、死を恐れる存在となっているため、要石はダイジンの助けなしでは抜くことができなくなりました。

 

鈴芽が「自ら要石となる」という悲壮な決意とは裏腹に、死を恐れるようになっていることは、東北の実家の近くの扉に入っていくときに「わたし、行ってくる。好きな人のところに」という言葉で叔母の環さんと別れているところからも分かります。

本来なら戻れないわけですから「さようなら」が適切であろうシーンですが、たぶん鈴芽は無意識的に「行ってきます」を使ったのであろうと思いました。

主人公の内面をさらりと見せる演出はさすがだと思いました。