ドラマ、半沢直樹、大人気ですね。
自分もつい5年前まで銀行員だったのですが、今も覚えている銀行の空気がそのままドラマに反映されています。
リアルっていうのは、事物がそうである以上に、空気までもが同じように見える。
そこまでいってはじめてリアルなのかもしれません。
そんな半沢直樹にあやかって、自分の銀行員時代に覗いた銀行の実態をテーマにブログを書いてみることにしてみました。
実際の銀行ってどんなところなのか?
気になりますよね?
今回から何回かに分けて、自分の銀行員時代の話をしたいと思います。
はじめのテーマは「銀行員の価値観」についてです。
自分が某都市銀行に入行したのは、もう15年ほども前になります。
当時の都市銀行はいくつかの銀行が合併して5年ほどが経過していました。
自分が配属されたのは多摩地域の小さな支店でした。
正直入行直後から銀行というところには馴染めないかんじはありました。
最初に配属された支店で学んだこと。
それは銀行員は出世がすべてということでした。
銀行員は出世がすべてという言葉には、実は2つの意味があります。
- 銀行員は出世しなければ自分の裁量では一切仕事が出来ない。
- 銀行員の価値観は出世をすることである。それ以外にはない。
一つ目の意味は銀行で働いてみるとすぐにわかります。
銀行で融資の決裁権限を持つには支店長以上にならなければなりません。
その下で働く者は皆、支店長以上の人間の決定を待たなければなりません。
銀行は、みなさんの想像以上に縦社会です。
ちなみに銀行の役職は、下から課長代理、課長、次長、副支店長、支店長という順番です。
支店の中では支店長が一番偉いのです。
また、支店の規模によって同じ支店長でもランクが違います。
大まかに言うと、大きな店の支店長の方が、小さな店の支店長よりもランクが上です。
いろんな要素があるので、規模だけで決まるわけではないようですが、出世とは無縁だった自分にはその程度しか分かりません。
支店長になんて到底なれそうもない落ちこぼれでしたから、正直そんなこと知ってもなんの役にも立たず、興味がなかったのです。
余談ですが、僕は銀行員時代の10年間、一切出世することはありませんでした。
二つ目の意味は、銀行員の価値観は「出世」しかないということです。
入行から半年ほどして、自分がお客様サービス課というところから個人営業課という部署へ異動になりました。
まもなくして、法人営業課の先輩が退職することになりました。
先輩とは部署も違いあまり話したこともなく、正直言うと疎遠なかんじではありましたが、先輩との数少ない会話の中で、今でも覚えていることが一つあります。
彼は私に以下のような言葉を残して去っていきました。
「銀行を辞めて正解だった。辞めると伝えた時に、副支店長から慰留された。でも、遺留の言葉は、「君の年代なら、すぐに課長になり、副支店長になれる。だからやめるな」というものだった。それ(出世)しかないんだよ。銀行にはね、出世以外に仕事で得られる充実感とか、満足感というものはないんだよ。だから、俺は銀行を辞めてよかったと思っている」
当時は入行したばかりで、まだ銀行を辞めようとは少しも思っていない時期だったのですが、彼の言葉は今も脳裏を離れません。
また、こんなこともありました。
当時私の勤めていた銀行では法人集約というものをしていて、私の配属されたお店もその対象でした。
法人集約とは、法人担当のいる店舗数を減らし、個人だけを相手にするお店を作ることを言いました。
そうすると、法人営業課の担当者は異動になります。
彼らが異動するのでお別れ会をすることになりました。
その飲み会の席で支店長がなんだかしょげている。
何をしょげているのかと思えば、法人店から個人営業専門のお店の支店長になってしまったので、支店長はそれを謂わば店の降格のようなものだと思っている。
規模の小さいお店の支店長になってしまったことを残念に思っている。
そんなようなことを話していました。
傍らにいた課長代理が、「支店長まだまだこれからですよ。まだ大きなお店の法人のあるところの支店長になることもできますよ。元気を出してください」となぐさめていました。
横で聞いていた僕は、辞めてしまった先輩の言葉を思い出していました。
出世こそが、すべての銀行員に共通する唯一無二の価値観。
言い過ぎかもしれませんが、あながち間違いでもないように今でも思います。
銀行員時代の飲み会を思い出してみると、彼らの会話には、お客さまの役に立ったとか、何かを解決したとか、そういう話はほとんどなく、上司の愚痴か、出世の話、がほとんどだったように思います。