いろはにほへと

元証券アナリストのひとりごと

あいさつしない人がいる職場はほぼ100%ブラック

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社会人経験15年。

転勤の多い仕事についているせいでいろいろな職場を見てきました。

そして、15年の経験で間違いないなと思うことがあります。

それは、「あいさつのない職場は例外なくヤバい」ってこと。

 

同じ会社の中でも、支店や部署によって、あいさつがされないところがあります。

そして、あいさつをしないところは例外なくヤバいところです。

 

たいていの人は、配属初日からピンとくるものがあると思います。

そういう職場に当たったら覚悟を決めて、出来るだけ早く脱出する方法を考えるべきです。

 

 

あいさつの持つ意味

あいさつは味方であることを示す行為

話はちょっと飛びますけど、映画でちょっとイッチャッテル悪役って、あいさつしながら相手をピストルで撃ち殺したりしませんか?

 

「やあ!ジョン、おはよう」(バン!)みたいな(゚Д゚)ノ

 

ヤバい奴感を出す演出ですよね。

 

本来、あいさつって敵対していないことを示す動作です。

あいさつする=自分から味方であることを示す行為なわけなんですよね。

その挨拶をしながら撃ち殺しちゃうってヤバそうなやつ感満載ですよね。

で、何が言いたかったかって言うと、あいさつってあなたの見方だよってことを相手に示すための行為だと思うんですね。

 

あいさつは相手を尊ぶ行為

そして、あいさつは相手が偉いからとか偉くないからとか、そういった理由でもってあいさつしたりしなかったりするものではありません。

ふつうの人は近所の知り合いであれ、誰であれ、あいさつをするものです。

 

あいさつは相手を「尊ぶ」行為です。

なので、自分より年下だからとか、格下だからとか、仕事ができないからとか、そういった理由であいさつをしないというのなら、そもそもあいさつの意味を理解していないのではないでしょうか。

 

いますよね、相手をバカにしてあいさつしない人。

もしくは相手からあいさつをされるまであいさつしない人。

そしてそういう人に軽んじられているように感じて怒ってしまう自分。

 

あいさつは元々仏教に由来しています。

仏教と言えば「天上天下唯我独尊」。

つまり、天上天下に置いてただ一人の存在である自分という存在は「尊い」。

尊い存在に大して尊敬の気持ちを示すこと。

それが挨拶であるといえます。

元々禅の用語であった。修行者が互いの修行の成果を質問し合う事によって悟りや知識見識等の深さ浅さを、確認する行為を指す。そこから民間へと広まり、人と会った時にとりかわす儀礼的な動作や言葉・応対などを言うようになった。(Wikipediaより)

 

あいさつは自分からしましょうなんて、説教臭い言葉かもしれませんが、相手を「尊んでいますよ」という意思表示なのですから、自分から堂々としたいものです。

分かる人には分かります。

そして、分かってくれる人はきっとあなたの見方になってくれる人です。

大事にしたいものですね。

  

あいさつしないって普通に「超」非常識

というわけで、わざわざ言うまでもない事だけど、「あいさつしない=非常識」です。

それもかなりのレベルでの「超」非常識さです。

あいさつって小学1年生で習うでしょう。

小学1年生で習ったレベルのことができないんですから、ヤバいと思うべきです。

だから、そんな非常識がまかり通ってしまう職場ってヤバいんです。

 

小学1年生で習ったレベルのことができてない職場

=小学1年生以下の人間が集った職場

=間違いなくブラック職場

 

私の15年の経験から言うと、あいさつのない職場はだいたい問題のある職場です。

問題のある社員がいて、問題を放置する上司がいて、誰か必ず被害に合っています。

そしてその被害にあうのは次はあなたの可能性もあります。

だから、早くその場所から脱出できるように対応を考えるべきなのです。

 

あいさつしない人は変えられないのか?

あいさつしない人は変えることができないのか?

僕個人の考えとしては、そういう人は変えられないし、変わらないと思います。

彼らは「尊い」という言葉の意味が理解できません。

 

人を「偉い」「偉くない」「重要」「重要じゃない」などのような価値観で判断してしまうのです。

そうすると、「尊敬」という言葉の意味が理解できません。

「尊敬」というのは、相手が偉いからするものではありません。

相手がこの世で代えがたい一人の人間であり尊いという心をもって接するということです。

 

あいさつをしない人には、そのことが分からないのです。

しかしそれは教えてもらって分かることでもありません。

自分自身で分かるようになるしかないのです。